暇な京大生の日常

暇な京大生が気まぐれでテキトーにやってるブログです

過去を一つ清算できたので書く

私の過去のうちの一つをようやく清算できたので書く。

 

バイトが少し長引いたので、バイト先の近くのラーメン屋で晩飯を済まそうと思って券売機に並んだら、目の前に辞めたサークルの先輩がいた。

なんとなくこんな季節だし、その先輩も先日引退したことを知ってたので、もう赦されてるだろうと思って話しかけてみた。

思っていた以上にフランクに話してくれたし、同期が今何してるのかとか、一個下の後輩たちがどうなったとか、その他いろいろの話はそこそこ弾んだ。そのころ、その同期たちや後輩たちは何をしてたかと言えば、月曜だというのに飲み会をしていたらしく、成り行きで私がスペシャルゲストとして二次会に呼ばれてしまうことになった。

 

飲み会の会場の前で出待ちしようというので10分くらい寒い中ボケッと待っていたら、ぽろぽろかつての仲間たちが出てきて、私の顔を見るなり、爆笑するのである。

 

え、なんで?という顔をする奴もいれば、久しぶりだなと比較的歓迎してくれる奴もいたし、その場の笑いにするだけでたいして関心を持たない奴や、そもそも私を知らない一回生もいた。私がかつて在籍していたころ私に辞める相談をしていた後輩もその中にはおり、結局続けちゃいましたと笑いながら言ってくれた。でもやっぱり、去年の夏に最後まで引き留めてくれてた同期の一人は私と言葉を交わすことも、笑うこともしなかったし、彼には許されてなどいないのだろう。

 

久しぶりに彼らのぶっ飛んだ会話や行動その他もろもろに触れて分かったが、彼らは部外者としてみると大変騒がしく迷惑で困った団体であることは明白である一方で、その中にいれば凄く面白かったのである。実際私もそういった部分は在籍していたころ好きだったしあのサークルの魅力だったのかもしれない。

 

彼らからかけられた言葉で一番多かったのが、「変わってないな」だった。確かにこの1年半弱で私が変わった部分は少ないだろう。拗らせているのはもともとだし、見た目も色々変えたあと元に戻ったし、滑舌も変わらない。精神性は変わったような気もするが、それは2、3言話しただけではわからないだろう。

 

だがそれ以上に彼らは成長しているのかもしれない。彼らはあの理不尽とプレッシャーと酒にまみれた狂った世界で私がいなくなった後の1年半もの間生き続けていたのだから何かしらの成長はしているに違いない。対して私はこの1年半、単位以外のものを新たに手に入れた記憶がない。新しい友達も、後輩も、彼女も、組織の歯車として働く経験も、努力に付随する結果も、目標も、希望も、思い出も、何も手に入れていない。

 

彼らとひと騒ぎした後(迷惑にも他人様のマンションの前で)、彼らはめいめいにどこかへ去っていった。私は置いてけぼりにされてしまって、ああもうここに俺の居場所はないんだと実感させられてしまった。1年半前には確かにそこにあった私の居場所はとうに私自身が破壊しつくしてしまったあとだったのである。

 

彼らには彼らの1年半があり、私には私の1年半があった。

ゆるぎない事実である。

今更あの夏の決断を悔いるつもりはないし、今からそれを取り戻そうとするつもりもない。実際彼らの世界に身を置いていたとして、私が今生きていたかと言えばきっとそれは否だろう。私にはあの狂気の世界で相応に活躍し学業もそつなくこなすような器量も根性も端からなかったのだ。

彼らの1年半は称賛に値するものなのかもしれない。私にはできなかったことを成し遂げているからだ。

だから私も、この1年半を誇らなくてはいけないのだ。何も成さず、何も成せなかったこの長い時間を。

だが、この切ない気持ちは何なのだろうか。