暇な京大生の日常

暇な京大生が気まぐれでテキトーにやってるブログです

生存報告

 

読者の諸君ごきげんよう。私はどっこい生きている。少し積み残しがあるものの留年を回避してホクホクである。

 

期末試験も終わり春休みになって3週間ほどが経過して3回後期のGPAポケモンアメタマだと発覚したその日、ベニテンはふと思い立った。

 

 

そうだブログを書こう。

 

 

年明けからツイッターを離れた私の言論の場はこの場所のみに限られてしまっているが、ツイッターでつぶやく代わりに上がると思われていた此処の投稿頻度も気づけば地に落ちており、このままいくと私という人間が皆に忘れ去られてしまうぞという漠然とした不安がもわもわと立ち込めている。それでも大して書くことがないのは困ったものである。

 

去年の6月ごろ、このブログを書き始めた時期には何故あれだけ書くことがあったのかよくわからないし、今思えばあの頃の私はウニかヤマアラシくらいとげとげしていたのだが、その棘も一本一本記事にしていったら年明け前にはとっくに玉切れになってしまい、今の私はきれいさっぱりつるつるである。

 

それでも何とか書かなくちゃあいけないので、あれこれと思案を巡らせてみるものの出てくるのはどこかで聞いたような話ばかりである。オモチロイ話などそういつも生まれるものではない。私が敬愛する森見登美彦氏の新刊を出すペースがどんどん下がってきているのもなんとなくわかるような気がする。

 

時事ネタでも書いてみるかと思っても、ツイッターを離れるとテレビもろくに見ない私は時間の経過に非常に疎くなっているが、社会情勢にも疎くなっているのは言うまでもない。そんな私の唯一の情報源は親からのLINEであり、コロナウイルスが何やら本当に危ないらしいぞという話も槇原敬之覚せい剤取締法違反で逮捕されたのも父親の鬼のかまちょによって知らされた。

 

ところでツイッターを離れて少しいいことがあった。

ベニテンは本来、面白いこと好きの明るい人間である。異論は認めない。

 

小学校の頃はクラスの人間、ひいては学年全体を率いる圧倒的リーダーとしての資質を見せてブイブイ言わせていた私は、姉に「中学に入ってからはあんまり表に立たないほうがいいぞ」と言われていたのもあり、中学ではその持ち前の覇王色の覇気を隠した結果、気づけば友達の少ない陰キャへとなり下がってしまったが、その本質は小学校の頃からあまり変わっていないのである。高2、3の頃の担任のN先生は卒業式のときにクラスのみんなそれぞれに手紙をくれたがそこには、ベニテンも本当はリーダーシップを取れる人間だと書いてくれており、私の本質を見抜いていたN先生の慧眼には脱帽するばかりである。

 

そんな潜在的陽キャのベニテンは大学の友達グループの中では仕切り屋さんである。テスト終わりの打ち上げも、関係ない普通の遊びもそのほとんどは私が企画するものである。というより私以外誰もそんなことしないので寂しがりやの私がそうするしかないのであるが。

とはいえ、ツイッターでいいね稼ぎをする代わりにLINEで友達に、かまってチョンマゲとちょっかいをかけるようになってから前年比300%ほどの頻度で誰かに会うことができているのは大変喜ばしいことである。

ツイッターでの人間関係を捨てたつもりもないが、なけなしのいいねよりは渋々でも酒だの飯だのに付き合ってくれる近所の友人を大事にするのは精神衛生上かなり良い。承認欲求が満たされても腹は満たされないのである。

 

 

スマホばかり見つめていても思い出の一つもできないぞというのは誰の言葉だったか。

インターネットの海に手のひらサイズのいかだで漕ぎ出しても仲間の一人も見つからない。ルフィだって仲間を見つけるのはいつもどこかの島に上陸してからなのだ。

 

やはりどこかで聞いたような話である。