ブラックサークルを辞めてから一年経った
どうも、暇な京大生です。
そういえば留年は回避しました。
カウント・ザ・単位s!卒業研究着手までに必要な単位はあと20
というわけで来期は10コマ取ればいいので余裕です。ちなみに前期は20コマ以上入ってました。一週間で15個もテスト受けて殆ど取り切ったの本当に誰かに褒めてほしい。
そもそもなぜ私が留年ギリギリの学生生活を送る羽目になったかというと何もかも一回生の春から2回生の夏まで在籍していたサークルに端を発します。
一回生の春、学生証交付のため大学の事務局に足を運んだあの日、大学構内の桜の木の下でブルーシートを敷いて酒盛りをやっている妙な団体がいました。その前を通りかかったとき、「君、新入生?」と声をかけられました。
学部はどこかと尋ねられたので工学部だと答えると、工学部の子何人かいるし話だけでもしていったら?と言うので、いっちょ話だけでもしていくか、と思いその輪に入っていきました。当時は田舎からはるばるひとりで京都まで来ていて、地元の友達も殆どいない状況でしたので大変不安でした。知り合いだけでも欲しかったんですよね。でも、思えばこれが運の尽きでした。
さて、その輪に入ってみると何人か新入生らしき顔ぶれも見受けられました。
その新入生たちと仲良くすればいいものを、波長が合ってしまったのはその団体の先輩たちでした。どんどん話が盛り上がり、いいやつだと言われ、その場に馴染んでいってしまいました。
そのままそこに居ついてしまって気が付けば4月末、新歓期も殆ど終わっていたにも関わらず新歓に参加したサークルはそこを含めてわずか4団体ほどで、新歓期を一番長く過ごしたその団体に所属するほか道が残されていませんでした。
所謂、「新入生の囲い込み」のいいカモになってしまっていたのでしょう。
結局、大学構内で酒盛りをしていた謎のサークルに入ることになってしまいました。
さてこの謎の団体は、ただの飲みサーではありませんでした。むしろただの飲みサーなら辞めていなかったと思います。
入ってみてからわかったことですが、実はこのサークル、とあるスポーツをするサークルでした。新歓期に試合に連れていかれたこともありますが、この後タダ飯が食えるなとしか考えておらず、試合の内容をちゃんと見ていたわけではなかったので、そのスポーツの全容をきちんと理解できていませんでした。
それでも夏ごろまでは、週2回程度ゆるーくそのスポーツをやっているだけで、偶に先輩の家で遊んだりご飯に連れて行ってもらったり殆ど新歓期と変わらなかったので、「別にいっか、先輩たちもいい人だしタダ飯も食えるし友達も何人かできたし」と思ってのほほんと過ごしていました。ですが夏休みからのサークルの急変に私は驚かされることになります。
夏休みの中旬から約1週間の合宿がありました。大方、日中ずっと遊んでちょっと練習するくらいの所謂サークルの合宿とやらなんだろうなと思っていましたが、地獄を見ることになりました。
朝の5時から夜の10時まで、ご飯と風呂を除けばほぼずっと練習でなおかつ、今までのゆるくて優しい先輩たちはどこへ行ったのかと思わされるほど厳しいダメだしの嵐。
極めつけは、ミーティングと呼ばれる怒られる時間でした。先輩数人に囲まれて、「お前やる気あんのか?勝つ気あんのか?」などと言葉攻めを食いました。やる気も勝つ気もそりゃ特にないでしょ。だってそんなつもりでこのサークル入ったわけじゃないもん。そもそも新歓期でこんなこと言ってなかったやんけ。と思っていましたが、耐えに耐えてなんやかんやで合宿を終えました。
さて地獄の合宿も終わり、夏休みだ!遊ぶぞ!と思っていた矢先、合宿後の飲み会で先輩から奇妙な言葉を聞くことになります。
「お前ら、やっと合宿終わったと思ってるかもしれんけど9月は朝9時から夜9時まで練習やぞ」
はい、意味わからん。酔っとんのかこいつは。
ハハハと同期と笑っていましたが、どうも先輩たちの様子を見るにこれはマジだと分かり絶望しました。
9月、本当に朝から晩までずっと練習していました。週に一回、あの「ミーティング」もありその度に精神をやられ、モンスターエナジーを飲み、夜中に自主練させられ、モンスターエナジーを飲み、ケガで途中棄権した同期を見て俺もチャリでこけて腕でも折るかと策謀し、断念し、モンスターエナジーを飲み、なんとかその地獄の一か月を耐え忍んだ頃には、9月末の新人戦で負けて号泣する程度にはそのサークルのマインドにしっかり染まっていました。
さて、このまま後期が迎えられるかというと当然そうではないです。10月は一切楽しめなかった夏休みを取り戻すかのように授業をサボりまくり、11月は学祭があったのでその準備やらなんやらでサボり、12月はその流れで狂い切った生活習慣を戻せずサボり倒してしまいました。さて1月、テスト期間に入るしいい加減勉強せねば、と思っていた矢先、いつもの練習会のあとの先輩からの発表に絶望します。
「1月後半から2月中旬にかけて、また9月と同じ感じだから」
テスト勉強は?授業は?
「安心しろ、授業時間は練習なしだ」
当然だな?
でも授業時間以外は練習があるわけです。空きコマが存在していれば練習に充てなければいけないし、睡眠時間も当然のように削らされます。
テスト勉強する時間などどこにもありませんでした。
結果として1回生後期に取得した単位は全部で10単位にも満たなかったと思います。
言い訳といえば言い訳なのかもしれません。ですが、明らかに私のキャパは超えていました。
実際、適応障害のような症状にもなっていましたし、クラスの友達からはさんざん心配されていました。
辞めようと当然思いましたがなかなか上手くはやめることができません。
テストが終わったくらいのタイミングで一度練習から逃げ出したことがありました。
先輩たちからの連絡は全部放置、同期からの連絡も無視してスマホも家に放置して鴨川沿いを永遠チャリで走っていましたが、夕方家に帰るとスマホに通知が来ていました。
「家に行くからな、逃げんなよ」
という恐ろしい文言がロック画面に表示されていました。
先輩からのLINEです。
その後、本当に先輩が家にやってきて説教タイムが始まりました。
せめてこの期間だけはちゃんとやれ、全員に迷惑がかかる、それに辞めるならちゃんと全員の前で宣言して辞めろ、じゃないと認めねえからな。
とのことでした。はっきり言って恐喝です。
結局この恐喝に屈し、練習に戻ることになります。
さて一度練習に戻って、この期間を完遂するといよいよ2回生になるぞ先輩になるぞという流れになってきます。こうなると辞めるタイミングが本当にありません。
あの先輩マジでやりやがったな。と思いましたが、どうすることもできません。
まあ先輩たちも続けているということはきっと何か楽しいことが2回生以降には待っているんだろう。と信じることにしました。
この頃実は先輩たちは外部の先生にレッスンを受けに行っていたことが判明し、私も先生を決めることになるのですが、このときの選択が後の災厄を生むことになるとは誰も知りませんでした。
とんとん拍子で話が進んでいき、気が付いたら新歓する側に回っていました。
不都合な情報を隠しながら如何に無知な新入生をだまくらかすかということを考える側に立ち、「ああ、あの頃の俺は本当にいいカモだったんだな」と思うことになります。
同期もみんな如何にして新入生を獲得するかを思案し、サークルの闇をひた隠しにするか画策していました。
この頃、この体制がブラックサークルを作っていくのだと実感しました。
かつては共にブラックな実態に苦しんでいた仲間たちが今度はブラックな実態を再生産するこの体制。はっきり言って以上であると言わざるを得ません。(最近見受けられるおえないって書くやつ全員父親のキンタマの中からやり直してほしい)
それでも春の大会でちょっとだけいい結果が出て、自分を慕ってくれる後輩もできて、このままなんとなく続けていくのかなとも思っておりましたが、5月の大会あたりから一切結果が出なくなりました。レッスンもそれ以外の練習も割と真面目に取り組んでいましたが、どうも進捗がない。そもそもレッスンの時、先生が言うことが全然理解できないし全く楽しくない。金もかかるうえに全然おもんないやんけ、クソゲーか?どんどんそのスポーツが嫌いになっていきました。一か月、辞めたいと思い続けたらやめようとそう決心しました。
さて一か月がたった6月末の大きな大会、同期がどんどん勝ち上がっていく中、私はほぼ最下位の成績をたたき出し、完全に心が折れました。
根気がないと言われればそうなのかもしれません。
だけど中高の頃、殆ど結果を残せなかったものの6年間テニスを続けていたのを鑑みるにそのスポーツに私がかける思いというのは、テニスにかけていたそれとはまったく違うものだったのだろうと思います。中高のテニス部は練習が辛いことも無くはなかったですが、第一そこにいること自体が楽しかったし辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。テニス自体も好きでしたし、テニス部の仲間も好きでした。
けれど件のスポーツは違う。嫌いだし、得るものがあるとも思えませんでした。
このまま続けていたら、結果も残せず、単位も取れずクソみたいな4年間になってしまう、とそう思いました。
最終的な決め手は7月の終わりでした。テスト期間に入ったにもかかわらず、レッスンを先生に入れさせられていました。居酒屋のバイトも人足りないから入ってくれと言われてしまいましたし、テスト期間にもかかわらずたいして勉強する時間を作れませんでした。当然、普段から勉強していればテスト期間にぎゃーぎゃーいう必要もないわけですが、普段はサークル活動としての練習とレッスンとバイトでてんやわんやですから勉強などする暇もありません。
結果として、2回生前期の取得単位数は12単位ほどでこの時点での取得単位数合計は50単位にも満たなかったと思います。
やってられんわと思い、すべてを投げ出し実家に逃げ、8月の最後に当時のサークルの主将と同期と飲み屋で大ゲンカしてから、正式に辞める旨をサークルの全体LINEで宣言して全員と縁を切りました。
それからバイトも居酒屋から今の塾講師に変え、時々楽器を触り、クラスの友達と偶に飲みに行く生活を送っています。講義にも出席し、真面目にノートを取り学ぶことの楽しさを思い出し、最近では博士課程も悪くないと思うようにもなりました。
出会いが一切ないので、彼女などという概念は私の世界には存在しませんが、代わりに心の平穏と単位を得ることができました。
私の大学生活という一つのRPGのトゥルーエンドを見るためにはサークルを辞めるという選択が正しかったのだろうと思います。
ですが結局は選択の問題に過ぎないのだろうと思います。
あのブラックサークルにいたら4年で大学を卒業出来なかったにしても童貞は卒業出来ていただろうと思いますし、感動やそこにあるドラマを体験することもできたことでしょう。
あのサークルに残っている人たちを否定するのもまた違うと思うのです。彼らは彼らの選択であの場に残っているわけですから、彼らの選択を否定することは私自身の選択を否定することと大して変わらないのです。
ただ、
「ここにいるのはなんか違うぞ、自分がやりたいことってなんだったっけ」
と思うようであれば、すぐさまその場所からは逃げるべきです。私は少し逃げ遅れたのでこのような有様になっています。
過度な引き留めや、初期とは明らかに違う態度、その他私がいたブラックサークルと似た要素が散見されたらその団体がブラックであることを疑い、すぐに外部の人間に相談しましょう。お兄さんとの約束だぞ。