暇な京大生の日常

暇な京大生が気まぐれでテキトーにやってるブログです

サボりと精神と非童貞への昇華

 

 

暇な京大生、ここまでのハイライト

 

ブログを始めて数週間目にして大サボり

幸せとはなんぞやを考えていたら失踪していた

リレー小説とレポートに追われててんやわんや

 

 

 

カウント・ザ・単位s!現在暇な京大生の持つ単位の総数は…

 

 

私のブログを毎日楽しみにしてくれている読者諸君、お久しぶりである。暇な京大生を名乗っているくせにレポートに追われてブログの更新をサボっていたことに関してはお詫びを申し上げよう。私も少しくらいやらなくてはいけないことが溜まるときもある。理系大学生やぞ。許してください。お願いします。

 

さて本題に入ろう。

 

その日、隣人が家に女を連れ込んでいた頃、壁ドンの代わりに「ファルコンパンチ!」と絶叫しながら私は童貞と非童貞の違いについて考えていた。

私は童貞であり、Fラン大学のテニサーに在籍する、ラケットよりも女の乳を握っている時間の方が長そうなヤリチン野郎は非童貞である。これは疑いの余地はない。だが、かのヤリチン野郎も元は童貞だったはずである。如何にして彼は非童貞になるに至ったか。そもそも、童貞と非童貞を如何にして見分けるのか。

 

スーパー大辞林によれば童貞とは「男性が、まだ女性と肉体的交渉の経験をもっていないこと。また、その男性。」らしい。

これに従えば、童貞か否かは自己申告がなければ一切分からないはずである。今朝私がウンコをしたかどうかくらいには分からないはずなのだ。

ところがどっこい、童貞か否かはある程度見分けることができるようだ。

 

一つは見た目である。見かけにさえ気を遣えないようなクソゴミ陰キャには交渉に応じる女などいるまいという予測により、こいつは童貞であると断定される。一種の統計推定であるからこの予測はある程度正確であると言えそうだ。だがしかし、これは童貞であるかどうかを検証するものであり、非童貞かどうかはわからない。見た目がいかに清潔感にあふれていようが童貞ではないとは言い切れないのだ。

 

次は女性の扱いの上手さである。女性の扱いがうまいやつは間違いなく非童貞である。もはやヤリチンと言っても過言ではない。女は自分をうまく扱う男が好きである。これは私の経験則である。なお、私が女性をうまく扱えたことはない。いいように扱われたことなら幾度となくある。笑いたければ笑え。ところで女性の扱いが下手なやつが皆、童貞なのかと言われるとそこは怪しいものがある。下手ぶっている非童貞も中には存在しており、羊の皮をかぶって相手を油断させておいて突然牙をむく狡猾なキツネ野郎もそこらには大勢いる。黒スキニーにオーバーサイズのトップスを着たキノコヘアー野郎は大体こうだ。全部刈り取って衣にくぐらせてアツアツの油に放り込んでやる。蕎麦に浮かべればさぞ美味かろう。なお普通に初めてできた彼女とお互いの初めてを交換して非童貞になりやがる不届き者もいる。こういうやつらは女性の扱いの上手さは並である。

 

したがって、女性の扱いが下手で、清潔感があふれた私のような好青年は童貞か否かよくわからないのである。

 

ところで、かのヤリチンはいかにして非童貞へと変貌したのか。繰り返すが、彼も生まれて間もないころは我々と同じ童貞だったはずである。そんな彼も、中学か高校か、或いは大学かであるとき出会いがあり、その人との成功体験が彼を非童貞へと押し上げたのだろうか。

そこには疑問が残る。彼女ができたからと言って童貞根性が抜けきらない奴は大勢いるからである。行為に及んでもなお、童貞根性が抜けない輩もいる。成功体験があるくせに自らに自信を持たずに、一度たまたまできた彼女にフラれた後、一向に新しい彼女を作りに行けない奴、お前のことだぞ。

 

ここで、一つの仮説が立つ。

童貞か非童貞かは、「女性と行為に及んだ経験があるか」ではなく、「女性と行為に及んだ経験がある風であるか」なのではないだろうか。言葉を換えれば、童貞か否かは精神の問題であるというわけだ。

かのヤリチンはヤリチンになるだけの精神が生まれたころから存在しているのである。中高の頃にできた彼女と致したかどうかは関係がないのだ。彼は生まれた瞬間から非童貞なのである。逆に、彼女と行為に及んでも童貞根性が抜けきらない奴は一生童貞である。

行為に及んだかどうかは童貞か否かには何の関係もない。相関は多少あるだろうが、順番が逆なのだ。非童貞だから行為に及べるのである。行為に及んだから非童貞ではない。

 

この時、女性と行為に及ばずとも非童貞になることは可能である。

何を言っているのかわからないという貴様は小学校から国語をやり直すとよい。

 

私も童貞を捨て非童貞へと昇華しようと思う。これは、別に風俗に行ったりマッチングアプリで知り合ったしょっぺえ女を金払って抱くとかそういうことではない。高尚なる精神の進化の話をしている。自らに自信を持ち、紳士的でありながらも女に媚びず、体を鍛え、彼女にしたい女がいれば積極的に攻めていく。そういう男になろうという話をしているのだ。

 

まずは形からである。

というわけで、パーマをかけて耳たぶに風穴を空けた。

 

イキリ陰キャの完成である。